トレイルラン

余暇No.0059

しまさんの場合

山を走るトレイルランの大会に出場しています。愛知・長野・山梨県あたりが多いですが、遠いところでは福島県~兵庫県くらいまでは遠出もします。大会のないときには一人で山を走りに行ったりもしています。

いつからはじめましたか。

40歳くらいから。

はじめたきっかけを教えてください。

35歳くらいから普通の道路を走る一般的なロードのマラソン(浜松シティマラソンなど)の大会に出始め、その数年後に山を走るトレイルランの大会があることを知り、やってみたらアップダウンはきついけど普通のマラソンより景色が良くて気に入りました。

三ツ頭稜線からの富士山

どのくらいのペースで実施していますか。

山を走るトレイルランと普通のロードのマラソンを合わせると年間で20くらいの大会に出場しています。

トレイルランについてエピソードはありますか。

2018年に富士山の周りを走るUTMFという大会で160km(100マイル)クラスのレースに初挑戦しました。後半辛くて何度もリタイアを考えましたが、10~20kmごとにあるエイドステーションに着くとまた気力が湧いてきて、1つずつエイドを進んでいくことができました。完走したときは自分でも達成感を感じました。

本栖湖越しの富士山

こだわりを教えてください。

マイペースを守ること。山道は狭くて追い越しが難しい場面もありますが、後ろから自分より速い走者が来たら道を譲ってお互いのペースを維持するようにしています。そして怪我をしないこと、事故なく安全にレースを終えること。自分の限界に挑戦する競技とはいえ、自分の技量や体力に見合った範囲をはみださないこと。身の危険が及びそうな時には無理せずにリタイアすることは自分にとっても大会にとっても大事な判断になります。

なぜ続けているのですか。

以前はどこまで長距離の大会にチャレンジできるかの挑戦のつもりでしたが、今では現在の自分の運動能力に対して無理のない範囲で自然を感じながら安全に走ること自体を楽しむのが目的になっています。

烏帽子山からの夕日

これまでに辞めてしまった余暇はありますか。

フットサルです。36歳くらいから10年くらいフットサルのチームやサッカーの教室や活動をしていました。子供のころから球技の素質はなく、自分には縁がないと思っていたけど、その歳で始めてもやってみると楽しかった。でもなかなか上達はせずチームには迷惑をかけるし、時間的にも厳しくなったので今はやっていません。

小中学生のころ、夢中だったものは何ですか。

鉄道少年でした。ローカルな鉄道に乗りに行ったり、鉄道模型を買ったりしていました。夜中から朝方にかけて浜松駅に張り付いて、上り下りのブルートレインが通るたびに写真を撮って徹夜したこともありました。

子どものころは、どんな子どもでしたか。

子供の頃は引っ込み思案で、特にスポーツは苦手で自分には向いていないと思っていました。スポーツテストは毎年「級外」でした。

しまさんにとって余暇とは。

平日に仕事を継続する中で、気持ちを切り替えて楽しむことは欠かせない要素です。もし仕事のことだけで頭がいっぱいだったらいつか自分が壊れてしまうでしょう。

野反湖

今後の目標ややってみたいことはありますか。

いつかは海外のトレイルランのレースにも出てみたいと思っています。以前はモンブランの周りをまわるUTMBというレースに憧れていましたが、最近では香港などアジアのレースが現実的かなと思っています。

子どもたちへのメッセージをお願いします。

好きなものを見つけるのは何歳からでもできるのですが、小学生の頃にいろいろなスポーツや音楽に触れておくと大人になってからの選択肢が増えて、本当に自分のやりたいことを見つける早道になると思います。いろいろなことにチャレンジしてみましょう。

前三ツ頭からの富士山

現在はどんなお仕事をされていますか。

海外の工場に試作用の部品や設備などを送るための手配をする仕事です。

この余暇に興味が湧いたら